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京都旅3日目覚書1(大徳寺編)
- 05:56 朝、昨日は結構歩いたので少し疲れた
- 大徳寺のイブキは、現在の仏殿が再建された1665年当時にあったもので、400年近い歴史を持つ。このように大木になることは稀とのこと。京都市認定天然記念物
大徳寺
- 塔頭が20以上あって、歴史好き、特に戦国武将好きにはたまらないところ。織田信長を祀った塔頭、本能寺のあと秀吉が後述の黄梅院(おうばいいん)に持ち込んだが狭いので総見院に祀ったらしい。ほかに石田三成を祀る塔頭、千利休や一休さんゆかりの建物やお茶室。塔頭ごとに見事な枯山水石庭など見どころ多い。夏の暑さで時期が後ろにずれているようで紅葉が見事!
- 塔頭によって法要の最中だったり、告別式などの風景が見られて日常的に使われているのがよくわかる。京都という街が観光客向けの顔だけでなく、一般の人々が普通に生活している中で歴史が生き続けているのが一番好きなところ
大仙院
- 三福茶。感じよい若い女性の説明とお茶がよかった
- 水の流れに従う枯山水の石庭 牛の形
- 「気を長く、心を丸く、腹を立てず、人を大きく、己を小さく」(掛け軸 禅の教え)
- 「気」は右垂がなが〜くなっていたり、「腹」を立てずのところは「腹」の文字が横になっていたりユーモラス。でも心に刺さる言葉。私は正反対の心もちで生活してる
- 院内は庭以外は写真撮影NG
真珠庵
- 源氏物語屏風 初公開(写真はNG)
- 紫野にある 真珠庵 紫式部の名前の由来と言われている
- 紫式部が産湯に使った井戸。父親の為時が住んでいたらしい
- 土佐光起 花鳥図
- 伊勢物語の引き戸
- 現代作家に襖図を依頼した山田宗正住職は先進的(後述:襖絵プロジェクト)。京都の人たちは古いものを大事にするとともに、時代の最先端を目指すことにも貪欲な気がする。ちなみに「檀那の間」は長谷川等伯の襖に換えて依頼
- 数年前にテレビで制作ドキュメントを見ていて一度来たいと思っていた
大徳寺真珠庵「襖絵プロジェクト」絵師たち(現地観覧順)
- 北見けんいち氏「楽園」 :釣りバカ日誌の漫画家
- 山口和也「空花」 :絵師の方ですが工芸品にも通じていてカテゴリーに捕らわれない美を追い求めている。雁皮紙に松煙墨噴き付けと銀箔を押す作業を繰り返し、仕上げに特性花火に着火して閃光を走らせて作品にした。奥深い宇宙と光が未来にどのように変化するか想像を掻き立てる。「瞬間の彼方にある永遠」がテーマ
- ちなみに僧侶しか入れない仏間に置いてあって当日は入れなかったと記憶しています。ウェブサイトで見ることができます
- 山賀博之氏「かろうじて生きている」:新世界エヴァンゲリオン制作会社アニメータ。依頼を受けた経緯が驚き
- 濵地創宗氏「寒山拾得」 :日本画家で僧侶 2年半書生として滞在時に住職から制作依頼を受けたとのことです。個人的にはこの空気感と人物の表情が結構好きです。曾我蕭白?
- 伊野孝行氏「オトナの一休さん」 :イラストレータ
- 上国料勇氏「PurusTerrae 浄土」 :ファイナルファンタジー作家
龍源院
- 枯山水石庭
- この反対側は苔庭になっていて対の関係が深い
黄梅院(おうばいいん)
- 入り口まで庭園の紅葉が素晴らしい。ここをすぎると写真撮影不可
- 1562年織田信長が秀吉を連れて入洛時に父親信秀の追善菩提のために小庵を建立したのが始まり
- 1582年本能寺の変で信長を密葬し、ここ黄梅庵に弔ったが秀吉が主君には小さいということで総見院を新築した
- 破頭庭
- 禅宗寺院としては最古の庫裡(くり)がある。大きなかまどと煮炊きする人の狭い部屋など
聚光院(じゅこういん)
- 永禄六年(1566) 三好義継が亡養父の長慶を弔いために建立
- 茶道三千家の菩提寺。参禅した千利休が壇越(だんおつ)
- 方丈には国宝3点。狩野松栄、永徳親子
- 障壁画「瀟湘八景図」「竹虎遊猿図」「琴棋書画図」
- 茶室:重文
- 方丈庭園:「百積庭」国の名勝

今宮神社
- 玉の輿お守り。お玉さんは農家出身で将軍家に嫁入りして、将軍を生んでいるそうです。まさに玉の輿の元祖。というわけで縁結びの神様
- 阿呆賢さん。撫でると軽くなり、叩くと重くなる石。あまり変わらないのは私が邪念だらけだからか?
- 阿ぶり餅が混んでいる。餅の焦げ加減がなんともいえないし、味噌がはじめは甘酒かと思う甘さ
- 道を挟んで二軒のうち片方だけ人がたくさん並んでいた。空いている方に入る
この後、3日目は東寺編に続きます